HOME > インタビューバックナンバー > vol.001 > interview 07 田代陽子「空想の森」 7年に及ぶ格闘

田代陽子

・・・Chapter1 映画のテーマ・・・

自分は何を撮りたいのか?を探りながら作った映画

「舞台となった北海道、新得でのお披露目上映会。ニューシネマパラダイスのような雰囲気だった」一「空想の森」は、新得共働学舎という農場で働く人々の暮らしを中心に撮影した映画ですね。ドキュメンタリー映画と思い込んで観たら、そうとも言えない。現実を映しているのに物語がある。物語があるのに現実をきちんと映している。不思議な雰囲気を持っています。

※新得共働学舎 空想の森の舞台になった北海道のほぼまん中に位置する新得町の農場。
社会に馴染めない人、障がいを持つ人、いろんな人たちが共に生きる場である。

田代 「たしかに、カテゴライズはしにくいでしょうね。最近、取材などで『この映画のテーマは何ですか?』とよく聞かれるんですが、私自身なかなか答えられないくらいです。ある方は農業って視点から見るでしょうし、ある方は子育てがテーマと感じるかもしれません。それは、観る方それぞれの立場や感性で全く違ってくると思います」

一はじめから、観客に全てをゆだねるという考え方で映画づくりをスタートさせたのですか。

田代 「観た方が考える映画ではなく、感じる映画にしたかったというのはありますね。何かを言いたくて作りはじめた映画ではありません。自分は何を撮りたいのか? を探りながら作っていった映画なんです」

一感じる映画というのは良く分かります。映画観ていて頭よりも五感を使 いました。今までなかった雰囲気の映画、観客の反応が楽しみですね。

田代 「『空想の森』の舞台となった、北海道の新得という町でこの前、お披露目上映会をやったんです。映画がはじまったら、ニューシネマパラダイスみたいな雰囲気でしたよ。字幕が出るとみんなで音読(笑)。最初から最後まで笑い声としゃべり声(笑)。子供は泣く(爆笑)。お年寄りもたくさん来たので、おばあちゃんなんか『つまんない』って言って絶対帰ると思ってたんですけど、みんな最後まで楽しんでくれて。こんな賑やかで温かい上映会ないな、ってほんと嬉しかったですね。お披露目上映会は、新得以外にも北海道の帯広、札幌、東京の計4カ所でやりましたが、それぞれ雰囲気が違ってそれも面白かったですね」

写真左 — 毎年、「SHINTOKU空想の森映画祭」の会場となる新内ホール 写真右 — 数年前、D型倉庫を改良し、映画を上映した豊之進劇場

写真左 — 毎年、「SHINTOKU空想の森映画祭」の会場となる新内ホール
写真右 — 数年前、D型倉庫を改良し、映画を上映した豊之進劇場

これが本当に映画になるかすら分からなかった

一新得って人口約7千人の酪農や林業を生業とする小さな町ですよね。
そんなお年寄りが多い環境で、上映会にどれくらいの人が来るんでしょう。10人とか20人とか…。

田代 「地元では一番大きな500席の大ホールで上映しました。『空想の森』の編集作業の追い込みで宣伝する暇がまったくなかったから、ガラガラだろうなと思ってたら、みんなどっから聞きつけてきたのか満員だったんです。これにはちょっと、びっくりしましたね」

一それは7年間もこの映画に時間をかけたかいがありましたね。
今まで生きた時間の4分の1近くを「空想の森」にかけたという…
それにしても、なぜ完成までに7年もかかったんですか。

田代 「なにしろ映画の構成を考えたのは一番最後ですから。ビデオでは100時間くらい、フィルムでは1万フィート、とにかくカメラを回し続けて撮るもの全部を先に撮影したんです。その時点でどういう物語になるかなんて全く浮かんでいなかったんですよ」

一構成や物語を考えず撮影を先にするなんて…。
新しい映画づくりの手法ですね(笑)。

田代 「だから、編集だけで1年半かかってる。知らなかったからできたんでしょうね。映画のことを知ってたら、やってなかったですよ。これが本当に映画になるのかすら分からなかったんです。でも、実際に編集作業に入ると、撮影した映像がたくさんあるから、今度は撮ったものの中にたくさんの物語があって絞り切れなくなった。最終的に聡美を映画の中心にしたのは、彼女は共働学舎から独立しようかどうか、迷いつつ生きていたでしょう。私自身、『空想の森』の制作をやめるか、やめないか、というギリギリの心境で制作をしていたから聡美に共感した。それで聡美を核にしようと思いました」

一そういう意味では、被写体に田代監督自身の心境を色濃く投影した映画とも言えますね。

田代 「とにかく一つだけ思ってたことは、『空想の森』を絶対に完成させる! どんな形になっても! って。それだけです。映画への思い入れっていうのもありますけど、それ以前に『空想の森』の制作のために300人弱くらいの方からカンパをいただいていたので…完成しなかったら私は詐欺になってしまう。だからと言って、完成優先はできない。納得できないところだらけで前に進まなかったんです」

・・・Chapter2 共働学舎について・・・

すぐに撮影をはじめず、まず共働学舎のみんなと働いた

「カメラマンだけでも何人も交替した。自分に原因があるんじゃないかと悩み続けた」一初期段階でどのような映画になるかすら分かってなかったとしたら、登場人物の皆さんにどうやって協力をあおいだのですか。

田代 「そう簡単ではありませんでしたね。初めの頃、聡美さんと宮下さんにあなたたちを被写体に映画を撮らせてください、とお願いしたら『自分たちの日常を撮って何が面白いの? 誰が見るの? 映画になるの?』と疑問だらけの反応でした。だからすぐに撮影をはじめずに、まず共働学舎のみんなと一緒に働くことにしました。野菜やチーズを作ったり、一緒にお酒を飲んだり。そういった時間を共有していくうちに『何を撮りたいか分からんけど、撮りたいならいいよ』って反応が変わっていきました」

一撮影に入ってからはスムーズだったのですか。

田代 「撮影もなかなか進まず…カメラマンだけでも、3人、4人くらい交替しています。私が撮りたいのはこれじゃないという感覚が常にあって…『何で上手く撮れないんだろう』『自分に原因があるんじゃないか』『これは完成することができないんじゃないか』と悩み続けました」

一カメラマンが何人も変わったというのはなんとなく分かります。
だってカメラワークが多くの映画と全く違いますからね。

田代 「クローズアップ以外では、ズームを1回も使ってないんです。近くに行きたい時は自分が被写体に近づく。被写体と離れたい時は自分が離れる。
あと、画角(レンズが捉える画面の範囲)をずっと50mmで通しました。画角50mmというのは人間の眼に近いんです。だから、スクリーンの被写体との距離は、そのままカメラマンと被写体との距離なんです」

一だから、観ていて自分自身がこの映画の中にいる感覚になったんですね。
映画と観客の垣根みたいなものを全く感じない作品でした。

左写真、主人公の聡美さん。新得共働学舎を辞めて独立するか悩みつつ、農業や子育てをする。田代監督にとっては、友人であると同時に自作映画の主人公という関係。

左写真、主人公の聡美さん。新得共働学舎を辞めて独立するか悩みつつ、農業や子育てをする。田代監督にとっては、友人であると同時に自作映画の主人公という関係。

いくらお金があっても豊かではない。お金は食べれないですから。

一田代監督のお話を伺っていると、悩みつつ共働学舎で働く主人公の聡美さんと映画づくりがだんだんリンクしてきますね。どちらも、悩みつつ迷いつつ前に進んでいる感じが。

田代 「自分でもそう思います。聡美さんは共働学舎を辞めて独立するかで悩んでいて、私は映画を続けていけるんだろうか、と思いながらやっていた。ほんとに重なっているんですよ」

一聡美さんとは、時間を共有しているうちに友人になったそうですね。そういう田代監督の悩みを彼女に相談していたのですか。

田代 「それだけは言えなかったですね。友達だから言いたくなった時もあります。でも、撮らせてください、って言ってるのにそれは言えない。被写体だから一切見せるわけにはいかない。聡美さんは私を間近で見ていたから、言葉で伝えなくても分かっていたとは思いますけど」

一主人公の聡美さんの悩みを映し込むと共に、野菜を育てる
様子を丁寧に細やかに撮っていましたね。

田代 「私は、都会で育った人間です。ずっと、泥のないキレイな野菜を買って食べてきて、どんな人がこの野菜を作っているんだろうなんて、思いを馳せたことすらなかったんです。それが、宮下さんや共働学舎が作った野菜の美味しさを知り、それをどのように育てているのかを見たり、私自身もそれを手伝っていくうちに魅了されていきました。撮りたかったのは、人ですけど彼らが携わっている農業って部分も出せたらなっていうのはありました。はじめは、野菜の成長を追っかけるという意識があって、天候などに一喜一憂していましたけど、そんなことは全く無意味で、みんなと一緒にいる空気をカメラを持って私も共有しようという意識に切り替えたら、ものすごく良いシーンがたくさん撮れるようになりました」

一人も野菜もイキイキしていました。うわーあのじゃがいも、
じゃがバターで食べたいって死ぬほど思いましたもん(笑)。

田代 「野菜って収穫してすぐ食べるというのが一番美味しいですね。美味しい野菜があったら、調味料なんていらないくらい。あっても塩とかポン酢をちょこっとと。その方が美味しいんです」

一登場人物の憲一さんが「貧乏だけど食べ物があって幸せだみたいな生活。世の中と相反するかもしれないけど、そういうのがいいな」みたいなことを言うシーンがありますね。食べ物の価格も高くなる一方ですし、今だからこそ、「空想の森」の登場人物に価値観に共感する方って多いでしょうね。

田代 「いくらお金があっても豊かっていうと、そうではない。お金は食べれないですから、ね」

田代 「それが自分でも、リンクしていると思うのは、さとみさんは、きょうどうがくしゃを辞めて独立するかって悩んでて、私は私で、映画を続けていけるんだろうか、って思いながらやってるわけですよね。それは言えなかったですから。あのー撮らせてください、って言ってるのに、映画になるかも分からない、完成するのかも分からない。生活もあるし。このままやっていけるのかなーとか、辞めて就職しようかな、と思いながらやってたから、ほんと重なっているんですよね。里美と。私も迷いながらやってるし。撮影の時は言わなかったんですよね。でもほんとの友達だから言いたかったんですよね。でも被写体だから。一切見せてなかったんですよ。ま、分かっていたと思うんだけどね。終わってから言ったけどね。ほんとは止めようと思ったんだってね」

・・・Chapter3 映画監督になるまで・・・

「空想の森映画祭」でドキュメンタリー映画をはじめて観た

「年に1回、映画を観るか観ないかの自分が映画監督をするなんて夢にも思っていなかった」一「空想の森」は初監督作品ですね。それまでは映画制作の仕事をずっとされてきたんですか。

田代 「私はもともと映画好きでも何でもなかったんです。年に一回映画を見るか、見ないかくらいだったし」

一そんな人がなぜ今、映画監督をやってるのか不思議です(笑)。

田代 「きっかけはですね、今回の映画の舞台である新得で毎年開催されている『SHINTOKU空想の森映画祭』を訪れる機会があって、そこでドキュメンタリー映画をはじめてスクリーンで見たんです」

一映画の中にも、映画祭の模様が出てきますね。

田代 「主宰者、観客がいっしょになって楽しむ映画祭なんです。映画祭の流れで、みんなで朝まで飲んだりして。こんな大人たちがいるんだ、大人でもここまで心底楽しめるんだ、という印象が心に残ったので、この映画祭を主宰していた森の映画社を10日後くらいに訪ねたんですね。映画社といっても、廃屋みたいな映画監督の藤本(幸久)さんの家だったんですけど。その時、藤本さんは『闇を掘る(キネマ旬報文化映画ベスト・テン第6位)』って映画を作っていたので、カンパして『がんばってください』って帰ったくらいだったんですけど…その後、藤本さんに『地元の山を舞台にした映画を作るのですが手伝いませんか?』って誘われて、その時ちょうど会社をやめてアルバイトだったので、やることにしたんですね。私、山が好きだったので、テーマが山だという部分にも惹かれて」

SHINTOKU空想の森映画祭

SHINTOKU空想の森映画祭

「SHINTOKU空想の森映画祭」の模様。映画の上映で新得町を訪れた藤本幸久監督がこの町を気に入り移住、「自分たちの楽しみを自分たちで創っていき、それを膨らませていきたい」という想いで立ち上げた。2008年で13回を迎える。
http://kuusounomori.com/

いろんな出会いから新たに撮りたいものが生まれる気がする

一その時は、まさか自分が映画監督になるなんて思ってもいない(笑)。

田代 「夢にも思ってない。その時はド素人だから。『雨降ったら撮影ないからね、すっごく良いから』って藤本さんから聞いていたのに、雨降ってる時こそ、撮影だったりして。『なんで、雨降ってるのに撮影あるのよ』って感じで。カメラマンがえんえんと撮影しているのを横で見ていても、いったい何を狙ってるのかすら想像もつかない状態。とにかく、人の手配や食料の手配、何から何まで一人で全部やらなきゃいけなくて、『もう藤本さんかんべんしてよー』って人を雇ってもらったりして」

一そんなこんなで、だんだん藤本監督のところに深入りしていった、と(笑)。

田代 「そのうち、藤本監督の映画制作のスタッフと共に『SHINTOKU空想の森映画祭』事務局の運営を担当するようになり、どんな人を呼んで、どんな映画をかけるかを考えるようになって、映画の世界に本格的に近づいていった感じですね 」

一映画祭を運営したことが監督をする上でどのように役立っていますか。

田代 「映画祭でかけるための作品選びのために『山形国際ドキュメンタリー映画祭』には必ず足を運ぶようになったんですね。それが一番、勉強になりました。世界の優れたドキュメンタリー映画を1週間、朝から晩まで見まくって、夜は香味庵(香味庵まるはち。漬け物寿司やぶっかけそば等、山形の郷土料理が豊富)に観客や映画制作者が集まってきて、山形の美味しい地酒をあおり、地場産品をつまみながら、いろいろな話をします。そういった中からいろんな方との出会いもたくさんありましたし」

一偶然や出会いを重ねて生まれた初監督作品。次の作品の構想は?

田代「今は、次の作品のことは考えられないですね。とにかく『空想の森』を多くの人に見ていただきたいっていう思いだけで。全国各地いろいろな場所で上映していく中で、またいろんな人との出会いがあって、そこから新たに撮りたいものが自然に出てくる気がしています」

一今の段階で出品する映画祭などは決まってないですか。

田代「ちょうど昨日、『あいち国際女性映画祭(中部圏で唯一の国際映画祭。2008年で13回目を迎える)』からお声がけいただき、『空想の森』の上映が決まりました。この他にも、世界各国の映画祭に出品していきたいですね。国内だけでなく、いろいろな国の人たちにも『空想の森』の世界をお届けしたいと思っています」

あいち国際女性映画祭WEBサイト
「空想の森」は、9月6日(土)14:00〜大会議室にて上映予定
http://www.will.pref.aichi.jp/main03/main03.html

Profile

1967年、東京生まれ。東洋大学法学部中退。
1996年、北海道を拠点にドキュメンタリー映画を製作する藤本幸久監督が立ち上げたSHINTOKU空想の森映画祭に出会う。その後、藤本監督の映画製作のスタッフになる。『森と水のゆめ』(1998年)では助監督、『闇を掘る』(2001年)では編集に携わる。同時に映画祭の運営スタッフにもなる。2002年、初監督作品『空想の森』を16ミリフィルムで撮影を始める。資金や人材に行き詰まり、2年程撮影を中断。2005年、スタッフを組み直し、ビデオに切り替えて撮影を再開する。2008年、「空想の森」を完成。

information

空想の森公式サイト 

http://soramori.net/

「空想の森」応援サイト 

予告篇が見られます

2008年7月26日(土)より
ポレポレ東中野にて上映

月〜土 10:30スタート
 日  20:20 トークショースタート
    20:40 本編スタート

上映前トークショー開催

7月26日(土)10:30 舞台挨拶/田代陽子
7月27日(日)20:20 新得共働学舎代表/宮嶋望 
8月3日(日)20:20 出演者の話と音楽を少し
8月10日(日)20:20 あがた森魚ミニライブ
8月7日(日)20:20 ゲスト交渉中